食べることができるのは、身体のためだけでなく心のためにもいい。
満面の笑みでお出迎え(昼)
食べることはこれほどまでに人を変えるのか?
先週末までリハビリを嫌がり、必殺"寝たふり"を繰り出していた父。昨日の昼、私が訪れるなり「めしが出たよ。あと少ししたら歩くよ。」とやる気まんまん。
やる気が上がるのもそのはず。
食べるのが好きな父が、手術前日から昨日まで口からは何も摂取していなかったところに"ごはん"が出たのですから。
(母撮影。36日ぶりだったかも…細かいことはまぁいっか。)
久しぶりの"ごはん"は、おかゆ、味噌汁(多分上澄みだけ)、のり(おかゆに入れる)、ゼリー。誤嚥を防ぐためにとろみをつければお茶も飲めるとな!
うれしいというかほっとしたというか、何だか力が抜けていきました。
やる気が消えていなかった(夜)
食事と腸ろうからの栄養摂取を併用していた昨日の夜。
面会時間ギリギリに夫と一緒に病室を訪れると、父はうとうと中。
「お父さん、一緒に来たよ~」と声をかけると目を開け、笑顔になって開口一番「明日からもご飯が出るんだってよ!夜はかゆに米粒が少しあったよ。」
そして夫に、ベッドの上で足を片方ずつ持ち上げて動けるアピール(笑)
食べることは生きること。食べることでこれからに希望が持てたのでしょう。この状態が続いてくれたらいいのですがどうなることやら。
置き換えて考えてみたら
もしも自分が食べることができなくなったら、生きる気持ちを失ってしまうのだろうか?それとも違う何かを見つけて生きていくのだろうか?
自分なりの何かを入れて考えてみてほしい。
「□□ができるのは、■■のためでだけなく自分の心のためにもいい」
この引き出しを増やしていけたらいいのかなとぼんやりと思いました。
とりあえず、自分でトイレに行けるように父にはリハビリを頑張ってもらいます♪(←鬼娘)
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