終活行政書士 合原千尋の絵日記@鹿児島市

~清く まっすぐ おもしろく~

テーマはなし!→無【第8回たにやま哲学カフェ】

参加費100円、予約なしでどなたでも参加できる”たにやま哲学カフェ”は、偶数月の第4火曜日に開催しています。

たにやま哲学カフェお菓子とドリンクは机の上にあるのでご自由にどうぞ。

過去のたにやま哲学カフェ

第1回「普通ってなに?」
第2回「時間について」
第3回「差って何だろう?」
第4回「ことばについて」
第5回「医療について」
第6回「コミュニケーション」
※第6回はブログを書いておらず。
第7回「夏の終わり。なぜ寂しく感じる?」

今回は、テーマなし!

今回は、初めての「テーマなし」。いきなり無言(苦笑)。

たにやま哲学カフェというわけで、副住職が老子のことばを紹介してくれました。「一見役に立たないもののように見えるが、本当は重要な役割を果たしていること」と言う意味のことわざ”無用の用”の元になったことばです。

そこからぽつり、ぽつりと参加者の皆様が口を開き始めました。

たにやま哲学カフェ
沈黙の時間がたびたび訪れる回でした。※沈黙も重要です。

テーマが無い→基準が何もない。
ないことによって生まれてくるものは?
無の反対は?

無は文字の上に付いて、存在を消すもの。例)無意識
無の類語は、虚、未、不、非

あると思えばある。ないと思えばない。
有るから無いことが分かる。

無は存在していない?
無いと思っている時点で有る。

知覚すらできないものが無。
気づいていないものが無。

ダークマター(天文学的現象を説明するために考え出された”質量はもつが、光学的には直接観測できない”とされる仮想上の物質)や、ダークエネルギー(宇宙全体に浸透し、宇宙の拡張を拡大していると考えられる仮説上のエネルギー)のように、数値で考えると何かあるのでは?

あるのだけれども見えていない感覚。意識で変わる。

希望の有無。
小さな癌は、診断されないだけで、有る。

無いということも有益。
0と無は違うのでは?

”無量”(はかりしれないほど大きいこと)は、無がつくことで大きくなってないか?

人の動作に関することば:無表情、無垢、無口など。
この無は、色がある。価値基準の線を引いているものでは。

~前半はここまで~

「無」だけでこれほど語れるとは!
私は、有の反対が無、無の反対が有。無は何かを打ち消す記号(英語で言うとnot)ほどにしか思っていませんでしたΣ(゚д゚lll)浅い・・・。

無の意味

無は”存在を消すもの”、”知覚できないもの”、”有益なもの”、”0”、”価値基準”などさまざまな側面を持っていることばであるようです。後半はさらに対話が進みます。

たにやま哲学カフェ無は”存在を消すもの”ではないのではないか。人が亡くなっても無になるわけではなく、その人のことは記憶の中にある。心の平安をうむことにもつながる。

無は人間が感じられるところにあるから、価値観が関わっているのでは。

1=0
無はバランスがとりにくい文字。

0=無?0≠無?
0は無いことで、無はあったものが無くなることでは?
感覚や価値基準が関わってくる。

無欲・無知などのことばは、いい意味のときも悪い意味のときもある。
無は、持っているものを別の解釈で切る使い方では?


・・・今回の参加メンバーはお寺関係の方が多かったことにより、仏教的な捉え方やことばが出てきます。「そんなことばがあったのか!」「そういう捉え方があったのか!」と疲れた身体と頭がさらに疲れました(;´・ω・)続きます。


仏教では、無が付くと”悟り”。
無は、抽象度を高める働きがあるのではないか。→仏教における空(くう)

不立文字(悟りの道は、文字やことばによって伝えられるものではない)
ブリコラージュ。
ことばによって得体のしれないものをとらえる。

個人の小さいことを考えると大きいことも考えられる。
虐待などは閉塞感、不安の埋め合わせ(強い者から弱い者へ)

ことばとしての無は、1つの方向性を表している。
↑幸せな方向性を持っているイメージ(無の一面)

般若心経は空(くう)をとくお経。
仏教者は、無を肯定的に捉えがち。無に憧れる。
一般の人は、否定的。無を価値基準に落としてしまう。

仏教とはどんな教え?→こだわるな。とらわれを捨てろ。
無:もっとおおらかに生きてごらん。振り回されていたら不幸だよ。苦しいんだよ。

光背(仏像の後ろの飾り)のように、包み込む感覚が無では?
包まれたら2つが1つになる。

無分別智(主観、客観の対立に捉われた見方を超えた智慧)。
自他の境界がなくなること。包摂。

無は個人の幸せ。
思いあがったらダメよという戒め。
戒めに従っていけば幸せになる。

未曾有の災害に無力感を感じる。思い上がり。

来たときよりも”無”ということばが好きになった。
無という漢字は、人が衣の袖に飾りをつけて舞っている姿を文字にしたもの。

”ある”ってどういうこと?存在するって?

~以上でタイムアップ!~
もやもやする。もやもやする。もやもやするー!!!

私がさっぱりした気持ちで終えることができなかったのは、①無について自分の思考が浅かったことに対し自分自身に腹が立ったから、②メモするのに必死で、知らないことばが出てきたときに「どんな意味ですか」と尋ねることができなかったから、③一言も発言しなくてもOKだけれども、同じ人がたくさん発言していてそれに対して「これでいいのかな?」と疑問が湧いてきたから、④お腹が空いていたから(笑)。

聴き方、人に伝える伝わる話し方、場のひらき方などもっと学んでいきたいです。


最後は、いつものように写ってもOKなメンバーだけで記念撮影。

たにやま哲学カフェクイズ:僧侶は何人いるでしょう?(違)

次回のたにやま哲学カフェ

偶数月の第4火曜に開催しておりますが、次回は大晦日になってしまうため、1週間前倒しして開催します。告知や開催報告は、たにやま哲学カフェFacebookページでチェックしてくださいね。

日時:12月24日(火)19時30分~21時
場所:妙行寺(鹿児島市和田1-4-1)
※境内に駐車OK。最寄りのバス停は大御堂です。
参加費:100円
クリスマス・イブをお寺で一緒に過ごしましょう(´艸`*)

たにやま哲学カフェ一言も発しなかった私の夫は、帰りの車内で「僕は無も有も同じだと思うんだよね」と。何年一緒にいても興味深い夫です。

Instagram(風景メインver.)
 https://www.instagram.com/goharachihiro
Instagram(食べ物ver.)
  https://www.instagram.com/chihiro_mog
◆合原行政書士事務所のページ
 https://igohara.jimdo.com/