終活行政書士 合原千尋の絵日記@鹿児島市

~清く まっすぐ おもしろく~

新年早々入院。心も身体もドタバタ。

2019年、我が家のお正月

2019年元日。
少々疲れていたので早めに眠り、友人から大量にLINEが届く夢(←初夢)を見て「あ、疲れてるのかな」と思いながら目を開けた午前5時。スマホを見ると母から午前3時3分にメールが届いていました。

『〇〇さん(父)が調子がよろしくなくて今から輸血をします』
え?母よ、その場合は電話でしょうよ!Σ(゚д゚lll)

あけおめメールの着信音が少々煩わしくて珍しくマナーモードにして寝ていたときに限ってこんな連絡が。(反省)すぐに母に電話をかけたら、「お腹が痛いって言うからタクシーで病院に来たんだけど、救急車も多くてね…。もうすぐ輸血が始まるみたい。血液が半分になってたのよ!」と。

「すぐに行こうか?」と言うも、「今来ても何も変わらないからもう少し寝て朝になってから落ち着いてから来て。あなたたちも疲れてるでしょ。」と母。血液半分?人は3分の1無くなったら死ぬんじゃないの?え?いつもの言い間違い?と思いつつ、正直言って疲れていたのでそこは甘えて数時間眠りました。

朝7時になって、『今△△(弟)が来てくれました』とメールがきました。
弟に電話をしたら、「父が急変するような状況ではないから、わしがいるからもう少しゆっくりしてから来ていいよ。入院になるから、千尋達が来たら家に荷物とりにいくから。」と。

前回は12月12日に退院して12月22日に再入院。今回は12月29日に退院して1月2日に再入院か・・・。いよいよ厳しいな。

夫に運転してもらい病院に到着すると、父は救急外来のベッドで、鼻から管を通し、点滴をしている状態でした。「来てくれたの。あいがとね。」って。喋らなくていいから(T_T)安静にしてて。

私たち夫婦と入れ替わりで、弟と母は入院に必要な荷物を取りに実家へ向かいました。

父

晦日は実家で一緒に年越し蕎麦を食べました。
(父だけは体調を考慮して少量にしたため、蕎麦が大好きな父は「おいだけちっとじゃないけ!あんまいやっど!」とややキレ気味でしたが)

そして、お正月気分を味わえたのは1日だけ。それでもその貴重な1日を過ごせたのはありがたい。今年はいろんな意味で試練の年になるんだろうな、泣くな自分!と思いながら父を見つめていました。

で、またいつもの5階に入院。そして前回と同じお部屋の同じベッドでした(笑)。

1月3日、カレーの辛さにのたうち回る。

夫は仕事でしたので、弟と一緒に父のところへ行きました。
鼻から管を通し、点滴を2本つなぎ、心電図の機械をつけた父はストレスMAX。「今回は厳しいよ!」と険しい顔をして言うし。

話す元気があるだけ安心。
そう思わないとこちらも持ちません。

帰りは、母を実家に送った後に、弟と剛家でランチをしました。
お正月でしたので、いつも通りのメニューではなく、数種類だけに限定されていました。弟は”とろとろ豚なんこつと野菜”、私は”やわらかポーク角煮と野菜”に。

↑のブログで確認して、選んだ辛さは弟は35番、私は自分の体調を過信せず25番にしました。辛いもので心に積もる何かを飛ばしたかったのです。

「辛くて美味しいねー」と言いながら、「葬儀の事前相談行っておいた方がいいよね。母を連れて行く前に、二人で先に行こうか。」「喪主の挨拶どうする?」「どのくらいの規模になりそうけ?」と場所に似合わぬ話をしておりました(-_-;)←飛ばせていない。

弟がいてくれてよかった!
人生でいろんな辛い状況に遭遇したときに、あたたかい人が必ず近くにいる幸運には恵まれています。(そこには自信ありw)

ま・・・夕食前にトイレにこもりっきりになるほど、胃腸が辛さにやられてしまいまして、夕食を食べ終わった瞬間に爆睡してしまいました。

少々疲れているときは、いくら好きとは言え、辛い物の食べ過ぎには気をつける2019年にしようと思いました(-_-;)来月頭には39歳になるしね(-_-;)

1月4日、現実を見つめる。

午前中、動揺している母から何度も電話が来ました。(その度にパソコンに向かっていた手がとまる。←待たせてしまった皆さますみません。)

主治医から「今回は腸閉塞直前でした。少しでも自宅で過ごせるように、早めに退院できるようにしましょう。」と言われて、母は「前回は3分食で退院したけれど、前々回の退院時みたいに5分食になってから退院させてほしい」と言ったら、「そんなことを言ったらいつまでも退院できませんよ」と言われて母はショックを受けたらしい。

※1 主治医がどのようにおっしゃったかは又聞きですので、定かではありません。
※2 母は最初「今回はアレだから、家でアレして下さいって先生に言われたがよ。伝わるけ?」と私に電話をしてきた程動揺していました。辛抱強く聞いたよ、私!

夜になって、父のところへ。
自分で歩いてトイレに行けるようになっていました。(が、まき散らすので、父がお手洗いに行った後、ベッドに着いたのを確認したらトイレを拭き掃除。)

母が、父は肺炎をおこしている可能性もあるからレントゲンを撮るって言ってたけれど結果は?入院時に、赤血球が通常の半分以下になっていたのはなぜだろう。いろんな謎がとけていないまま。

もう、検査の詳しい結果よりも、父が望む過ごし方をまっとうできるように何ができるかということにしか興味が無くなってきているのかもしれません。そんな時期にきていると思います。

そして。
私は家族のことにかまけている時期でもありません。
わかっています。わかっているけれどもあと少し、気持ちの切り替えには時間がかかりそうです。ロボットになってしまえたら楽なのに。でもそれは自分で望んでいないこと。”強さ”を身につける1年にしたいです。

最後に

まー、そんなこんなで、新年早々いろいろあります。
無理矢理行動しても空回りに終わりそうですので、今の自分ができることに集中してひとつひとつ丁寧に取り組んでまいります。

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