突然何かあったときに、エンディングノートはよりどころになる。
決断のときは突然やってくる。
心の準備ができていない?
いいえ。
そんなこと言っている場合ではないときがある。私にその時がやってきたのは、大学を卒業して入社1年目の冬。
突然の電話
プルルルルルル。母からの着信。
あぁ今日は弟のセンター試験の1日目。忘れ物でもしたのかなんて思いつつ電話に出る。
「お父さんが救急車で運ばれた。病院は〇〇だって。」意味が分かるけれどわからない。母の声もかろうじて聞きとれるかどうか。
「行く。」それだけ言って、会社に休む旨の連絡。タクシーに乗って病院へ向かった。
病院に到着
病院に到着すると、救急車と母と久しぶりに会う伯父、伯母、そして横たわる何か。あぁ、父。
病院の人が言った。何の反応も示さないのでここ(病院)では対応できません。救急車でICUのある病院へ移送します。「ご家族全員に連絡をして下さい。」
え?センター試験1日目だよ。今弟を連れてきたら、浪人確定。どうする?どうしたい?お父さん死ぬ?生きる?何の反応も示さないけれど、まだ生きている。どうする?
弟に連絡をするか否か。
数か月後を考える。
- 父生存+弟浪人=弟の人生1年棒に振る。
- 父生存+弟大学進学=一番うれしい。
- 父死亡+弟浪人=悲しいことしかない。
- 父死亡+弟大学進学=死に目に会えなかったことを恨まれる?いや、そんな子ではない。
救急車でICUのある病院へ向かいながらこんなことを考えていた。そして決めた。弟には連絡しない。
ICUのある病院に到着
到着し、かろうじて父の指が1本だけピクっと動いたことにより、手術ができる可能性が0ではなくなった。母と私が呼ばれた。手術をするかしないか決めろと。
「何でもして下さい。できることは何でもして下さい。」母は言った。「お母さんは、お医者さんが何を言っているかもうわけがわからないから、あとはちゃんと聞いていてね。」とも母は泣きながら言った。
そのあと医師の説明が続き、しっかり対応したつもりだが、今となっては何も覚えていない。
弟のセンター試験が終わり、病院に来て父の顔を見るまでは、どんな状態でもいいから生きていてほしい。私にできることは祈るだけ。弟が動揺せずに試験を受けられるように、父は検査入院をし、心配性の母は付き添っている。そんなウソを全力でつくだけ。
重なる奇跡
センター試験を受ける弟を駅まで車で送っていった帰り道、車の中でくも膜下脳内出血になり、通行人に発見されて、救急車を呼んでもらえただけでも奇跡。
交通事故にならなかったのも奇跡。
吸っていたタバコがポロッと落ちたところから火事にならなかったのも奇跡。
その後の父と私たち
手術後、目を開けたのは半年後。半身まひがあり、意識もはっきりしなかった。誰を見ても「千尋!」と呼ぶ父の声が苦痛で仕方なかった。
懸命に介護する母に対しても「千尋」。晴れて大学生となった弟に対しても「千尋」。私が心配をかけていたからこうなったの?父が発見された交差点を通るたびに苦しくなった。
母はパートをやめ、介護に専念した。弟は大学の授業料免除になった。私は働いた。
父は怒りながらもリハビリを続け、最初は半身まひだったが、歩けるようになった。鉛筆を持つ練習をし、字を書く練習をし、四則演算の練習をし、今では高次脳機能障害はあるが、新聞も読める。
たまたまだ。たまたま。たまたまに感謝だ。
だからこそ思う、エンディングノートの大切さ
今に至るまでは色々あるけれど、寒く晴れた日になるとあの日のことをたまに思い出す。
エンディングノートは突然何かあったときにとても役に立つ。何が好きだったか?誰とどんな思い出があったか?それが回復の糸口になることがある。本人にとっても、家族にとってもよりどころになる。
今は元気だし、必要ないわ!そう思っている人も1度エンディングノートを手に取ってみませんか?
終活ワークショップ petit shu
12月21日(水)10:30~12:30「エンディングノート③」年内最後です!
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