第4回縁起でもない話をしよう会「私の半生と反省」@鹿児島市和田
縁起でもない話をしよう会
医療や介護・死の問題など、「縁起でもない話」として避けられがちな話題だけれども、本当は語り合うことが大切な話。それらに関するネタを話題提供者に話してもらい、その後に参加者同士で対話する参加型の場が「縁起でもない話をしよう会」です。
【過去の縁起でもない話をしよう会の模様】
→第1回縁起でもない話をしよう会「死を目前にゆらぐ心」
→第2回縁起でもない話をしよう会「最期をどこで生きるか」
→第3回縁起でもない話をしよう会「延命措置、5つの選択肢」
インフルエンザや風邪が流行する中、約60名も参加して下さいました。
小齊平先生の赤裸々な「私の半生と反省」
第4回の話題提供者は、さがらパース通りクリニック医師の小齊平智久先生。
スライド260枚と動画を使って、そこまで話してしまうの!?とこちらが心配になる程、ご自身の半生を赤裸々に語って下さいました。(今回、まとめ能力が低下していて長いです。)
①医師になるまで(さまざまな”教訓”)
小齊平先生は、先天性の心疾患があり、5歳のとき(1975年)に成功率30%の手術を受けられました。
手術は成功したものの、尿道に太いカテーテルを入れたため痛みが激しく、その後もお手洗いは個室の方でゆっくり時間をかけてしなければならなくなりました。
★『すべての苦しみが目に見えるとは限らない。』
小学校に入学するも、主治医から「水泳や長距離走は出来ません」と言われ、親から学校の先生に伝えられ、体育の時間は自習や見学のみ。この頃、同級生からの”精神的ないじめ”が多々あったそうです。
★『自分のことなのに自分で決められない辛さ』
★『一度貼ったレッテルはなかなか剥がれない。』
中学校に入学する頃には、運動をすることを諦めて、ガリ勉になりました。
★『希望が叶わない状況になると諦める。』
親戚には医師はいないものの、この頃、周りから医師になるよう運命づけられ、高校へ進学します。(私の高校の大先輩)
★『諦めが続くと思考停止する。』
医学部に入学し、”普通に接してくれる”仲間に出会えたことで、つらい実習も頑張ることができたそうです。
★印をつけたことばが、後の小齊平先生につながります。
②自分の中の医師ができあがるまで(”先生、先生、先生”!)
1997年に医師国家試験に合格した小齊平先生は、所属先として第2内科を選ばれました。
1年目は、パワハラ、労働基準法無視の労働環境、低収入等により地獄!苦しみを打ち明けられたのはコオロギ先輩ただ一人だけで、「先生」と呼んでもらえることが心の支え。
2~3年目は、あみだくじで地方へ出張。「先生」と呼ばれることは当たり前に。
4年目は、部下ができて上司になった小齊平先生は「先生」と呼ばれないとムッとするように。患者さんを1時間待たせるのも当たり前、気になりません。
5年目は、専門を決める年。
出張で消化器内科に行くことが多かったことから消化器内科を選択したものの、パワハラを受けたり、給料ゼロで働く無給医だったりしたことから、大学病院を辞め、急性期病院へ、その後療養病院へ移られました。
この頃にお会いしていたら、恐くて近づけなかったと思います(;´・ω・)ヤダヤダ
③自分の中の医師が崩壊するまで(”聴く”大切さ)
恐くて近づきにくそうで(←個人の感想です)、胃瘻をバンバン作っていた小齊平先生が、鹿児島医療介護塾や妙行寺、その他いろいろな場所でさまざまな人達と出会い、”聴く”ことの大切さに気付き、その本質に辿り着かれます。
最初は「さん」付けで呼び合うことにすら抵抗感があった鹿児島医療介護塾。
そこで出会ったIさんが”聴く”を実践されたのを見て、「”聴く”ことはレッテルを剥がすことにつながるのかな?」と思い、さらに「医者でも”普通に接してくれる”人がいると思うだけで心強いです」と言われ、”聴く”ことの楽しさを覚え、他の学会やセミナーへ足を運ぶように。
食医の「自力で口を閉じられる人は少しでも食べられる人です」という言葉を聞いて”禁食”というレッテルを1年間で14人剥がしたり、”胃瘻は一生モノ”というレッテルを5人剥がしたり。「”聴く”ことは、レッテルを剥がすことに役立つんだ!」と、精力的に講演にも取り組まれました。
が。
調子に乗っていると同じ年のM先生から檄が飛んできます。5年前に鹿児島医療介護塾の塾長O先生に「先生、ここに入院中の患者さんたちはほんとに幸せなの?」と言われたことも響きます。
・・・”聴く”とは?(;´・ω・)
『希望が叶わない状況になると諦める。』『諦めが続くと思考停止する。』同じような苦しみを味わった自分が、手を差し伸べないでどうする!と、一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会での活動につながりました。
そして、苦しんでいる相手が「(自分自身を)わかってくれる人、理解してくれる人だと思う」人になることが”聴く”ことなのだと、エンドオブライフ・ケア協会の教えから気づかれたそうです。小齊平先生曰く、「医師20年目にしてようやく”聴く”を知りました。」と。
→そんな”聴く”が気になる方はこちら。【告知】2019年2月9日(土)に鹿児島で学べます!
人との出会いによって人生は大きく変わります。
人と真剣に向き合うということは、自分と真剣に向き合うということであり、真剣であればあるほど苦しみを伴います。そんな苦しみすらも赤裸々にお話して下さった小齊平先生、本当にありがとうございます。
④患者になって気付いた大切な”支え”
昨年2月に身体の不調を感じて病院を訪れた小齊平先生。待合室で4時間も待った挙げ句、「死ぬところでしたよ!」と医師に怒られました。
血圧も血糖値も200超え、腎臓の機能は低下。本当に危ない状態だったそうです。
「検査入院しましょう。入院日は・・・」と医師に一方的に言われ、『自分のことなのに自分で決められない辛さ』を再び感じ、トラウマがよみがえり、「入院したくない」旨を伝えると、「どうなっても知りませんよ」と脅され突き放されました。
「これだけは守って下さいね」と医師に告げられたことは、内服、インスリン注射、自宅でほぼ毎日、血圧・血糖値・体重を測定すること、お酒禁止、食事制限(蛋白・塩分・カリウム)、週3回以上の運動など。
大好きなお酒もグルメも、将来の計画もダメになり、自分に失望Σ(゚д゚lll)ガーン
そんな小齊平先生が救われたことばがこちら。
人はただ単に苦しむのではありません。苦しむ前には気付かなかった大切な『支え』に気付くのです。
by小澤竹俊先生
家族や友人、同級生、仲間などさまざまな”支え”に気づきましたが、小齊平先生にとって一番の支えは妻。妻に大切に思っていることを伝えるために”もしバナゲーム”を使われました。
その後、医師の言いつけをだいたい守って体重は半年で7kg落ちたものの、腎臓の機能は良くならなかったそうです。
しかし、心は穏やか。
自身の支えに気づき、大切な人と大切な話をし、新たな役割ができたから。(やっと存じ上げている小齊平先生に。ホッ。)小齊平先生のお話はここまで。
語り合ってみようタイム
縁起でもない話をしよう会では、話題提供者の話を聞いた後は、参加者同士語り合う時間です。
前半の感想を述べあった後に、”もしバナゲーム”を用いて参加者同士語り合いました。
もしバナゲームの36枚のカードの中で、”今現在”大切に思っていることを理由も考えながら1位から3位まで順位をつけて、4~5人のグループ内で発表(差し支えない範囲で)。
更にグループを変えて、”余命半年”だとしたら何が大切かを理由も考えながら1位から3位まで順位をつけて、4~5人のグループ内で発表しあいました。
※にこやかに縁起でもない話をしています。
最後に「家族や友人など身近な人と縁起でもない話をするのはハードルが高いのでどうすればいいか?」と参加された方からご質問がありました。
参加されていたT先生が「そういうときに”もしバナゲーム”を使ったらいいですよ」とお答え下さったり、前回もご兄妹で参加して下さった方が、「縁起でもない話は縁起でもないと思ってしてこなかったが、前回参加したことをきっかけに父や母と話すことができました。こういう会に参加することがきっかけになりますよ。」と経験談をお話し下さったり。主体的にご参加下さっていてありがたい!
小さな積み重ねが少しずつ広がっていくことや、この場で人と人がつながっていくことが非常に嬉しいです。この嬉しさが頑張るための活力になります(*'▽')♪元気出たー!
縁起でもない話をしよう会、次回以降のお知らせ
◆徳之島出張?◆
日時:2019年1月19日(土)14時~16時
場所:亀津東区公民館
話題提供者:平野慎一郎氏(徳之島診療所 副所長)
※縁起でもない話をしよう会の第1回話題提供者である平野先生が徳之島でも!
◆5回目◆
日時:2019年3月13日(水)19時~21時
話題提供者:正込健一朗氏(正込法律事務所 弁護士・社会保険労務士)
◆6回目◆
日時:2019年5月14日(火)19時~21時
話題提供者:三好綾氏(NPO法人がんサポートかごしま理事長)
会場は妙行寺の門徒会館(鹿児島市和田1-4-1)です。境内に駐車できます。予約も参加費も必要ありませんので、時間のご都合のつく方はぜひご来場下さいませ。
おまけ
今回もニャロメ。
皆様寒い中「ようこそおこし下さいました。」
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